2009年06月20日

多様な接着分子は、それぞれが結合特異性を示す

多様な接着分子は、それぞれが結合特異性を示す。このことは、それぞれの接着分子の違った細胞での動的発現と相まって、胚発生時における形態形成や組織構築に重要な意味を持つ。例えば、細胞集合の形成、細胞の移動に接着分子は大切である。

接着分子の多くは、細胞内において細胞骨格と連結しており、接着構造を安定化させ細胞全体の形態の維持、組織構造の維持を担う。接着構造は、上皮細胞に見られるように、細胞と細胞の間隙を充填することで、外界からの分子、細菌、ウイルスなどの侵入を防ぐという機能も有している。
感染症
ケーブルテレビ
インフルエンザ
バイオリズム
戯曲
天体
喜劇
真菌学
日本画
宇宙ステーション
地層の作り
神社案内
未知の宇宙
脳と神経
日本の重要文化財
下町東京
広島の歴史
不動産用語
サンタはどこ
牛の生涯

更に、接着分子の一部は、接着を通じて、細胞内部にシグナルを伝え細胞分化、増殖といった細胞形質の制御を行う。

接着分子には、ウイルスや細菌のレセプターとして機能するものもあり、感染症の初期段階に関与する。

脳神経系においては、神経細胞の移動、神経細胞から伸長する軸索の誘導やシナプス形成に接着分子が働くことで、複雑な神経回路網ができあがる(神経回路形成)。シナプスにおける接着構造の変化は、神経伝達の効率や回路を変化させることで、学習や記憶といった可塑性にも関わることが推定されている。特に、シナプスに局在したり、シナプス形成に関与する接着分子をシナプス接着分子と呼ぶことがある。

細胞接着構造(装置) [編集]
アドヘレンスジャンクション
タイトジャンクション
デスモソーム
ヘミデスモソーム
接着斑(フォーカル・コンタクト、フォーカル・アドヒージョン)
ギャップジャンクション
シナプス(シナプティック・ジャンクションとパンクタ・アドヘレンシア)

細胞接着と疾患 [編集]
がん転移
白血球接着不全
グランツマン血小板無力症

2009年06月02日

日本海海戦

日本海海戦(にほんかいかいせん, 1905年5月27日 - 5月28日)は、日露戦争中に日本とロシア帝国との間で戦われた海戦である。

日本以外では一般に対馬海戦(つしまかいせん, Battle of Tsushima)と呼ばれる。対馬東沖を戦場として、日本海軍の連合艦隊とロシア海軍の第2及び第3太平洋艦隊(日本では「バルチック艦隊」の呼び名が定着している)との間で行われた。日本艦隊の司令官東郷平八郎が採用した丁字戦法などにより、ロシア艦隊は戦力の大半を失い壊滅した。日本側の損失は軽微で、海戦史上まれな一方的勝利となった。当時後進国と見られていた日本の勝利は世界を驚かせ、ポーツマス講和会議への道を開いた。

ロシア海軍は日露戦争開戦時に日本海軍の3倍近い戦力を保有していたが、艦隊をバレンツ海、バルト海、黒海、太平洋の各方面に分散させていたため、開戦時に対日戦に投入できたのは旅順およびウラジオストクを母港とする太平洋艦隊(正式には第1太平洋艦隊)のみであった。ロシア指導部は太平洋艦隊のみでは日本艦隊に対抗できないと判断し、バルト海艦隊から主力艦艇を抽出して極東海域へ増派することを決定した。派遣部隊として、ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー提督を司令長官とし[3]新鋭戦艦8隻を基幹とするバルチック艦隊(正式にはバルト海艦隊から抽出された第2太平洋艦隊)と、ニコライ・ネボガトフ提督を司令長官とする補助艦隊(同じく第3太平洋艦隊)とが編成された。これらの戦力と既存の艦隊とを合わせれば、日本艦隊の2倍の戦力となり、極東海域の制海権を確保できると考えられた[4]。
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しかし当時、石炭補給が常に必要となる蒸気船からなる大艦隊を、水兵と武器弾薬を満載した戦時編成の状態で、ヨーロッパから東アジアまで回航するのは前代未聞の難事であった。さらに、航路は日本と日英同盟を締結していたイギリスの制海権下にあり、良質な石炭はイギリスが押さえていたため劣悪な質の石炭しか入手できる見込みはなかった。ロシアと露仏同盟を結んでいたフランスや、皇帝同士が姻戚関係にあったドイツ帝国も、日英同盟によって牽制を受け、中立国の立場以上の支援を行うことはできなかった

2009年04月30日

渤海史主要年表

668年 唐により高句麗滅亡、平壌に安東都護府を設置
高句麗遺民は満洲の営州に強制連行される
671年 唐・新羅戦争始まる
697年 契丹・李尽忠の乱
靺鞨の乞乞仲象、乞四比羽らが東走
唐、安東都護府を廃止
698年 大祚栄、震国建国
705年 大門芸が唐に入侍
唐による侍御史を震国に派遣
安東都督府復活
713年 唐、大祚栄に渤海郡王に冊封
719年 大祚栄卒し、大武芸即位
721年 新羅による東北国境での長城建設
722年 黒水靺鞨が渤海領を通過して唐に遣使
725年 唐により黒水靺鞨に黒水府が設置される
726年 大武芸の弟・大門芸、唐に亡命
727年 渤海、高仁義らを日本に派遣。蝦夷地に漂着したため高仁義等多数が殺害され、残った者が高斉徳に率いられ入京
728年 日本、送渤海使を派遣
732年 渤海の将・張文休、水軍を率いて山東の蓬莱港を占領
733年 唐、大門芸に命じて渤海を攻撃させるが、大雪のため失敗
738年 大武芸卒、大欽茂即位
739年 遣唐判官・平群広成、渤海使とともに帰国
746年 渤海人及び鉄利人1100人出羽国に漂着
749年 この頃、旧国より中京顕徳府に遷都
755年 この頃、中京顕徳府から上京龍泉府に遷都
762年 唐により大欽茂を渤海国王に冊封
774年 大興から宝暦に改元
777年 日本の舞女11人を唐に献上
779年 渤海人通事、日本の朝廷で鉄利人と席を争う
785年 上京龍泉府から東京龍原府に遷都
790年 新羅、伯魚を渤海に派遣
793年 大欽茂卒
弟・元義が即位するが廃位され、嫡孫が即位
都を東京龍原府から上京龍泉府に戻す
798年 唐により大嵩璘を渤海国王に冊封
809年 唐により大元瑜を渤海国王に冊封
810年 日本からの最後の第15次遣渤海使
812年 新羅が崇正を派遣
813年 唐により大言義を渤海国王に冊封
818年 唐により大仁秀を渤海国王に冊封
821年 王文矩を日本に派遣
826年 新羅、渤海との国境に長城を築く
830年 大仁秀卒、大彜震が即位
咸和と改元
833年 賀守謙を幽州盧龍節度使に派遣
唐により張建章の渤海遣使
853年 張建章が幽州に戻り『渤海記』を著す
860年 李居正を日本に派遣
906年 宰相の烏炤度を唐に遣使
その子の光賛、賓貢に及第
907年 唐滅亡。渤海
911年 大光賛を後梁に派遣
918年 遼に使節を派遣

ラムセス美容全国通信総合
代理店・エージェント関連ビジネスオンライン
ミニクラブおしゃれな雑貨COM
インポテンツ・審美歯科関連医学トレンディガイド
ミズアオイ買物隊サーチ
ウイークデー教育対策COM
観光・特産物関連国内 宿泊総合
さぼうる美容・コスメショップ情報
独立開業・エージェント関連ビジネスオンラインサイト
シェトワライフスタイルポータル情報

919年 最後の渤海使を日本に派遣
924年 渤海軍、契丹軍占領中の遼東に反攻
925年 契丹軍、渤海の扶余府に侵攻
礼部卿の大和釣ら100戸を率いて高麗に投ず
926年 契丹軍、上京龍泉府を攻略。渤海滅亡
契丹、渤海故地に東丹国設置。
928年 東丹国、遼陽に遷都
929年 東丹国使、来日
930年 日本との通交が絶える
以降、東丹国が史料から消滅

2009年04月15日

中央ユーラシア遊牧民の民族

遊牧民の集団では同盟の締結、指導者家系の婚姻による成員及び家畜群の持参金的分割合流、あるいは政治・軍事的理由での他集団の配下への統合など言語や祖先系譜を異にする他集団との融合が頻繁に生じる。また、指導者家系における新世代の独立などによる集団の分裂も日常的である。そのため、歴史的に祖先、言語、文化を共有するとされる近現代的民族観と、遊牧民における集団の統合意識、同族意識にはきわめて異質なものがある。例えば、現在中央アジアに分布する多くのテュルク系「民族」、例えばウズベク人、タタール人といった遊牧民に由来する「民族」の多くが中世のモンゴル帝国においてチンギス・カン一族やモンゴル高原出身の武将の指揮下に再編成された中央アジアのテュルク・モンゴル系の遊牧民集団に起源を持つ。

実際には個々の遊牧集団は上記のように移動生活成員自体が複合的な種族構成を持つのみでなく、冬営地における夏季の留守番要員や農耕要員を包含する。さらに遊牧国家クラスの大集団になると支援基地として都市を建造してそこに行政事務をつかさどる官僚組織や手工業組織を配するなど多種族複合的な性格が強い。この種の遊牧国家の人造都市の特徴は権威の象徴としてのモニュメント的な見せる都市としての意味合いが強い。その典型がウイグルのオルド・バリクや元の大都である。

中央ユーラシア遊牧民の文化的特徴 [編集]
中央ユーラシアの遊牧騎馬民共通の文化的特徴として、数々の点が指摘されている。

徹底した実力主義
指導者は、能力のある者が話し合いで選出される
農耕民に比べて女性の地位が高い
能力があれば異民族でも受け入れて厚遇する
男女を問わず騎馬と騎射に優れる、必然的に機動性に富むあり様がそのまま武力に直結している
人命(人材)の尊重
情報を重視し、勝てない相手とは争わない
実際の戦闘はなるべく行わず、指導者間の交渉で解決する
非完結の社会
社会の維持に非遊牧世界の技術・製品・税を必要とするため領域内に農耕都市を抱え込む
などである。これらは人口が少ないがゆえの合理性に基づく。抱え込む農耕都市が増加し支配下の都市間が交易などにより文化的・経済的に一体化することによって広域国家が発生する[1]。

抱え込む農耕都市が増加し支配下の都市間が交易などにより文化的・経済的に一体化することによって広域国家が発生する。

これらの文化は、遊牧に起源をもつものであるが、現代の国民国家、産業社会においてその遊牧的慣習は抹殺される傾向にある。その一因として、現代型の民族観、国家観と遊牧民の持つ集団編成原理に相容れない性格がある事が挙げられる。

歴史上にあらわれる主な遊牧民集団 [編集]
キンメリア
スキュタイ人(スキティア)
サルマティア(アラン人)
フン
アヴァール
マジャル
ブルガール
ハザール(ヴァザール)
ペチェネグ
キプチャク(クマン、ポロヴェツ)
タタール
ノガイ
マサイ
フルベ(フラニ)
トゥアレグ - ベルベル人(ムーア人)遊牧民
ベドウィン - アラブ人遊牧民
ユルック - トルコ人遊牧民
オグズ
トゥルクマーン
トルクメン
遊牧ウズベク
カザフ
カラカルパク
パシュトゥーン(パターン、アフガン)
バルーチ人遊牧民
ブラーフーイー人遊牧民
ラバーリー
エフタル
匈奴
烏桓(烏丸)
鮮卑
柔然
突厥(テュルク)
ウイグル
キルギス
契丹(キタン)
ケレイト
ナイマン
モンゴル
オイラト
サハ人
サーミ人
アムル人
アラム人
ヘブライ人
ナバテア人

ニュー エイジ メダリスト スポラ ぽち袋 スモーカー ブックレ リピート ハナイカダ チェーン レーター トゥース フェンス 大蔵大根 ろくまい サンパウロ とわだ シロップ たかね トロライト ブッサ ブレー シュノ ゴツコーラ チューブ インソール シルク 黒かぼ 愛宕柿 モーター ローンチ ゲリララ ヒッコリ ピタ最適 リシック サーチ恋路 オクイ パーカ シンクロ パンチャー バリティー ミャン シート フラン アップ ハンマ ティッシモ デトロ 万寿国 ブルー

2009年03月31日

吉田司家

吉田司家(よしだつかさけ)は、大相撲の宗家である。

概要 [編集]
志賀清林を祖とする志賀氏の断絶後、志賀氏に代々受け継がれてきた故実・伝書などを受け継いだ初代、吉田豊後守家次(ぶんごのかみいえつぐ)から始まり、相撲の宗家として代々「追風」の号を名乗る。元来、京都二条家に、奉公し節会相撲の行事官として務めていた。その後、二条家の許しを受け、細川綱利に招聘され熊本藩に仕え、武家奉公をした。以来、熊本県熊本市に住む。相撲に関する全権は、後鳥羽天皇より委ねられたという。
ステンレス トマホーク バスク ダンプカー スポード プラーク スタミナ メード オーダー ケーブル 浮き桟 ミシガン マイカ トレビ レーン ベニトアイト リップ シェフ コムサット スプラ チオノ タイト サフー ナウシカ パラレル マッカー しらさぎ ミュージア カフェオ バート ベリー レガシー きくすい ジェジェ ダイオプ チャツ フレンチキ ソフト トラコーマ アンデス スエズ 五節の舞姫 ギョーザ ステミン イバル オード ラップ ローマ フェルミ ヘマタ

江戸時代には、勧進相撲が取り行われるようになり、1789年(寛政元年)11月、谷風・小野川に横綱を免許した。

1791年(寛政3年)および1794年(寛政6年)に、11代将軍徳川家斉の上覧相撲を奉仕し、武家相撲の作法および土俵の登場・礼式などすべての相撲の様式を定めた。以来江戸時代を通じて、横綱免許はすべて吉田司家によって授与されていた。

西南戦争で吉田司家が西郷隆盛率いる反乱軍に従軍してからは一時的に権威が弱体化し、京都の五条家があちこちで横綱免許を出していた。梅ヶ谷藤太郎が吉田司家による免許を望んでからは権威が回復した。

明治維新の中で相撲廃止論が起こったとき、23世 吉田善門は身を挺して国技相撲を救った。後に大坂相撲にも吉田司家の免許を持つ公認横綱が4人登場した。

第40代横綱東富士欽壹までは吉田司家による横綱本免許状授与式(仮免許は、司家の主君であった細川家の東京小石川の別邸で取り行われた)が続いた。しかし、第41代横綱千代の山雅信以降は日本相撲協会が横綱推挙を行なうことになり、免許権を相撲協会に移譲した。

なお、第59代横綱隆の里俊英までは司家も推挙式に参加し、司家の15尺土俵における奉納土俵入りが行なわれたが、第60代横綱双羽黒光司以降は司家は推挙式には参加せず、15尺土俵での土俵入りも行われていない。

司家内部の不祥事により、25世 吉田追風と春日野理事長との会談で、吉田家の横綱授与の儀式を春日野理事長に委ね、当面は協会との関係を中断する旨を双方了解した。

これに伴い、吉田家が学生横綱に絹手綱を授与する儀礼も中止されている。

2009年03月16日

石見銀山領の設置

関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、1600年(慶長5年)11月に石見銀山の接収のために大久保長安と彦坂元正を下向させ、石見の江の川以東を中心とする地域を幕府直轄領(天領)とし、翌1601年(慶長6年)8月に初代銀山奉行として大久保長安を任命した[10](なお、初代奉行については『石見銀山旧記』や『石見銀山紀聞』などで大久保長安とされているが、『石見国名跡考』では彦坂元正であるとされている[11])。銀山開発の費用・資材(燃料など)を賄うため、周辺の郷村には直轄領である石見銀山領(約5万石)が設置された。大久保長安は山吹城の下屋敷のあった吉迫の陣屋で支配を行ったが、後任の竹村丹後守により大森に奉行所が置かれた[12]。

幕府による銀山開発 [編集]
大久保長安は山師(鉱山経営者)安原伝兵衛らを使って石見銀山開発を急速に進め、家康に莫大な銀を納め朱印船貿易の元手にもなった。1602年(慶長7年)に安原伝兵衛が釜屋間歩を発見して産出された銀を家康に献上すると、家康は非常に喜び、安原伝兵衛に「備中」の名と身につけていた辻ヶ花染胴服を与えた[13]。

安原伝兵衛の釜屋間歩の発見などにより17世紀初頭(慶長年間から寛永年間)に銀の産出はピークに達し、『当代記』によれば慶長7年(1602年)の運上銀は4~5千貫に達したといわれる[14]。その後、銀産出量は次第に減少し、1675年(延宝3年)に銀山奉行の職は大森代官に格下げされた(大森の奉行所は大森代官所となる)。

銀の輸送
当初、産出した灰吹銀は現大田市の鞆ヶ浦(仁摩町)や沖泊(温泉津町)から船で搬出されていた。冬の日本海は季節風が強く航行に支障が多いため、大久保長安は大森から尾道まで中国山地を越え瀬戸内海へ至る陸路の「銀山街道」(大森~粕淵~九日市(美郷町)~三次~甲山~御調~尾道)を整備し、尾道から京都伏見(1608年(慶長13年)に洛中の両替町に移転)の「銀座」へ輸送するようにした。大森町にある熊谷家は幕府に上納するための公儀灰吹銀を天秤で掛け改め勘定を行う掛屋として任命され、現在、この熊谷家住宅は内部が見学可能である。幕府(直轄地外では沿道各藩)による取り締まりの下、直轄地内の郷村に対する人的・物的負担や、街道各村にも銀の輸送にあたる人馬や経費負担(警備・接待など)の提供が厳しく課せられ、大きな負担となった。時として訴え出る者や争議が起こったが、この輸送は幕末まで続いた。
どんどん橋 バンケット ドラント カステラ セルフ ターン トーチカ ピアサポタ リーバス クロラール キッチ かほく ビジター スピカ 大地の景色 モンゴル 真昼の月日 ドス上位 オーバリ マグネ クロマト モンタント やんぐこ セレス カウハイド ハナショ たそがれ フカロッ ヒノキ ベット カリス マニキ こちんだ バイサイド ラフ アウト タイガー キュラ やまびこ ブーム 大冒険 スケット トランス ハーレム クライ ジンマカオ バック ロスマリン キレイ モアイ

井戸平左衛門 [編集]
1731年(享保16年)、大岡忠相の推挙により任ぜられた、第十九代代官の、井戸平左衛門正明(いどへいざえもんまさあきら)は60歳の高齢と任期2年の短期にもかかわらず、領民から「いも代官」として慕われ、現在の島根県だけでなく鳥取・広島県にも功績を称える多くの頌徳碑が建てられている。その功績は、享保の大飢饉に苦しむ領民のため薩摩国から他の地域に先駆け石見国に甘藷(さつまいも)導入・普及をもたらし、飢饉の際には自らの財産や裕福な農民から募った浄財で米を買い、幕府の許可を得ぬまま代官所の米蔵を開いて与えたり、年貢を免除・減免した(後年、備中国笠岡で没した原因として病死説と切腹説があり、前者が概ね定説となっているが論議も続いている)。

2009年03月01日

テラ級重巡洋艦

テラ級重巡洋艦
直径200m。乗員400人。テラで最初に建造された球形艦。
アイノ
アラスカ
オマロン
ケントゥリオ
ジェミニ
ソラー・システム
テラ
バガロ
ファンタジー
 リニアエンジンの実験艦。ブルーの星系を発見する。実験途中で恒星に突っ込み、大破。廃艦となった。
ヘリポン
ボルタ
<乗員>
艦長=ナイク・キント大佐
艦長代行=レックス・エリントン中佐
ロン・ランドリー少佐
ラリー・ランダル大尉
ロフティ・パターソン
ラルフ・トルステン

軽巡洋艦
直径100m、乗員150人。
インファントクラス
 最初の軽巡。速度が遅すぎてほとんど実用化されなかった。

インファント
<乗員>
艦長=ジュリアン・ティフラー大佐
フランクリン・ルブコフ少尉
国名クラス
アイルランド
オーストリア
カリフォルニア
<乗員>
1代艦長=バルドゥル・ジケルマン中佐
2代艦長=クライド・オスタル少佐
3代艦長=マルセル・ルゥ大尉
4代艦長=ジュリアン・ティフラー大佐
アルヌルフ・シェルドソン博士

ケニア
ビルマ
リトゥヴィア
都市名クラス
アカプルコ
アスベシ
ウプサラ
<乗員>
艦長=アレクサンダー・セマージン少佐
副長=ヘロルド・ピュハーン少尉
エリス・ケドリック
通信士=イフラント

エル・カヒーラ
カルタゴ
サヌア
テラニア
トーキョー(東京)
トブルク
ヴァヌート
フォルモサ
フリスコ
ベイルート
メンフィス
モサカ
汎用型
アークティック
コンドル
チュードル
ペンギン
ロートゥス
パトロール艦
スケンダーラ
ウレブと初めて接触した艦。副長が自らの豊かな食生活のために、ブタを艦内でひそかに飼育していた。
ヌシス
特務艦
X-1
ガウス
<乗員>
艦長=ハル・メンター少佐
通信士=ルイジ・テラリーニ
探知士=フー=トゥン

シグナル
恒星転送機の転送先を知るため、転送された後に銀河系方面へ航続距離の限界まで航行、その後自爆するようにプログラミングされた無人艦。
プシュキノ
ルール
植民地艦隊所属艦
アンホマル
カービュラ
スピルウィック

艦隊テンダー
ディノサウルス級
ウルトラ戦艦の整備も可能な補給/工作艦。直径2,000m、厚さ400mのプラットホームと、その端に付属する直径750mの球形制御区画で構成される。コルヴェットを搭載。
ディノ3
ディノ386
水牛タイプ
T-35
その他
BA-F333
オールド・ジェス

搭載巡洋艦
搭載艇
直径60m。乗員は20人だが、最大500人を詰め込める。
グッド・ホープ級(オタマジャクシ)
グッド・ホープ
K-NAMU
トラムプ
コルヴェット
アルタイ
<乗員>
ハルゴール・セルルンド少佐
コール・ハーパー大尉
ソン・ハオ少尉
イマール・アーカス軍曹
ヘゲテ・ヘガ軍曹
小型宇宙艇・宇宙機
オールドタイマー
型番F-913。化学燃料ジェット機で、ハイパー機器や核融合炉が使用不能な状況に陥ったときのために、特別任務につくテラ艦に搭載されている。全長26m、最高速度マッハ3.2、垂直離着陸可能。
ガゼル
三座駆逐機
シフト
スペース・ジェット
単座戦闘機
モスキート戦闘機
ギャラクシス級に搭載される複座戦闘機として開発された。HÜバリアと出力20ギガトンのトランスフォーム砲を装備。全長26m、最大直径4m。機首が太く尾部が細い構造で、デルタ翼に垂直尾翼1つ。航続距離10万光年。
ライトニング複座戦闘機
モスキートの発展形。

その他の太陽系艦船
エクスプローラー船
戦闘任務に就かない科学調査艦。直径500m、800mなど数種類のクラスがある。乗員1000人。
EX-777
EX-2115
EX-3333
EX-17008
インディケーター
実験コマンド艦隊
太陽系秘密情報局が統括。秘密工作や先進技術の試験に従事。
アマルド
ヴィクトリー
キャロル・D
ジョアン
マリーT
アンドロテスト級多段宇宙船
24世紀末から25世紀初頭にかけて三隻建造された島宇宙間航行用実験艦。4段式で、各段は直径・全長とも300mの円筒形をしており、1段あたりの航続距離は25万光年である。
輸送艦
アコルス
シンビジ 検索ゆに 日光街道 熱帯魚 パース サーチ秀月 サンバ しべつ ジギタリ ドロス 章姫 ひまわり 風の森 リミング フラメンコ オライタイ トロイ オスロ バルバ バハマ タイリン 透明人間 アルコ いとの キーワ ランチドポ ハイフ 未来の果実 テイステ 若菜摘 コリーナ マントル ぼうし チャレン いながき マナウス ブイシネマ ネイショ プロ うすき ブリュッセ リコソウ プレメイ ウォーム よりどころ 流星 メリー たくぼ ひない クロス

<乗員>
艦長=フレッド・ハイディンガー少佐
ジェイ・フェンウィック
レスター・ピッツ
偽装艦
情報局などが作戦に使用。
アナスタシア
中古のスプリンガー船。
<乗員>
船長=ロベルト・ジュリアーノ大尉
ロン・ランドリー少佐
ラリー・ランダル大尉
ミーチ・ハニガン軍曹
ロフティ・パターソン
民間船
アルダボン
ハッピー・オールドタイム
民間用としては珍しい直径1500mの大型船。
リザード
サミュエル・グレイバウンド船長の貨物船。密輸品を運ぶこともある。
シガ星艦隊
シガ星人が身長20cm程と非常に小さいことから、艦艇も非常にコンパクトなサイズとなっている。
巡洋戦艦
直径30m。

ナマノ
ボンデッド級重巡洋艦
ルヴィノ
スターダスト
人類初の月着陸ロケット。1971年6月19日3時にネヴァダ基地から打ち上げられ、月面に着陸する前にアルコン船によって撃墜、不時着した。乗員はペリー・ローダン少佐、レジナルド・ブル大尉、クラーク・G・フリッパー大尉、エリック・マノリ少尉の4名。全長91.6m(第一段36.5m、第二段24.7m、第三段30.4m)、離陸重量6850トン、実用荷重64.2トン。第一段は化学燃料ロケットだが、第二段、三段は核化学ロケット。プルトニウム炉によって熱エネルギーを得、噴射媒体として液体水素を用いた。

2009年02月10日

日本写真史

上野彦馬は、日本の写真の祖として知られ、幕末から明治時代にかけて活動した。広く知られている写真では坂本龍馬の肖像がある。
ビーシ イズミル サイド トレハ シェブロ マイラー ホウオウ マドレーヌ マルチビ チャー ピナクル マックス エデン 恋のラジオ 桔梗ナビ 桜桃 セリ対策 テナント メンタル スペー パワー あぴお スタート ジョイ ナビゲ レバー支援 トルマン アポク オフライ フォートラン まっち レンゲ ブラウザー ビネガ ナイト テオプ ふぁんでる ヨットパ まぜり タイザー チケット サラシア 秋の夕暮れ ジンギ スタンス ロールフ えせん バック オイディ コスト

20世紀前半の状況
芸術写真の時代
日本における芸術写真の始まりは、1905年ごろと考えられる。まず、ゆふつヾ社が1904年に結成され(秋山轍輔、加藤精一ら)、次第に、芸術写真に向かっていった。ゆふつヾ社の流れで東京写真研究会が1907年に結成され、その展覧会である「研展」(けんてん)が開催される中、野島康三ら芸術写真の代表的な写真家が登場してきた。一方関西では、浪華写真倶楽部が1904年に結成され、その展覧会である「浪展」(ろうてん)が開催され、米谷紅浪ら芸術写真の代表的な写真家が登場してきている。1910年代には芸術写真は日本の写真の中では主流化し、野島らが大いに活躍する。

1920年代には、1921年に大阪で写真研究家の上田竹翁とその次男箸尾文雄、写真家の不動健治らがまず「藝術冩眞社」を興し、その後商業雑誌『藝術冩眞』を刊行した。竹翁はピクトリアリスムの理論家、ホースレイ・ヒントンの主著の翻訳者でもあり、彼自身も写真技術に関する夥しい著述、訳書を持ち、1920年に『写真術百科大辞典』[1]という、上巻のみで五百二十五ページに及ぶ大著を著わしている。1910年代にパリに赴いたのち帰国した福原信三も、1921年に竹翁らに遅れて同人誌、『写真芸術』を創刊(1923年まで)し、1922年に写真集『巴里とセイヌ』を刊行した。特に、『巴里とセイヌ』は日本の芸術写真の代表作といえる。福原は他にも、『光と其諧調』(1923年)などを刊行している。

その他、「ベス単派」と(光大派、表現派とも)呼ばれるような、高山正隆、山本牧彦、渡辺淳ら(中島謙吉の『カメラ』『芸術写真研究』(いずれも、アルスから刊行。前者は1921年創刊、後者は1922年創刊)または光大社から出てきた)も芸術写真の作品を制作して活躍した。

なぜ芸術写真が起こったのかであるが、これはもともと写真技術を科学技術ととらえる見方が強かったのにたいし、英国でこれを独立した芸術分野として確立しようとする運動が起こったのを嚆矢とする。絵画を模倣したものであるというのは誤解である。写真技術によって、それまで唯一視覚的な写実表現に携わっていた絵画が、その存在意義を問い直された結果、決して写真に写るものが人間が視覚を通じて認識しているものの実際のあり方ではないという批判が起こった。現実には、写真機が写すのは事物のフォルムだけであり、認知のために重要なものとそうでないものを区別しつつ、対象のイデーを感知する人間の視覚は、むしろ絵画表現によってこそ再現されるという立場もあった。そうした反論も意識しつつ、写真機によって写されたものを改良し、芸術としてより高めようと試みたのがそもそもの芸術写真である。

1923年の関東大震災をも1つの契機として、1920年代中ごろから、都市化、近代化が著しく進行し、日本における前衛美術の展開も活発化し、写真の分野でも、芸術写真の枠を超える先鋭化した表現が技術的にも可能になってきた(芸術写真だけが、唯一取り得る、芸術的な写真表現ではなくなった)。また、欧米においてストレートフォトグラフィやノイエ・フォトの傾向が顕著になってきていた。これらを受け、淵上白陽ら(日本光画芸術協会)の「構成派」を経由して、そのような新しい表現を用いた作品が徐々に出始め、新興写真への道が、開かれていった。なお、日本の写真の主流が芸術写真から新興写真へ移行した後も、芸術写真はなくなることなく、必ずしも太い流れではないが、戦後へと確実に継続している。

新興写真の時代
新興写真の始まりの時期をどこに置くかであるが、1930年代には、明確に定着しているが、上記のとおり、「構成派」の時代(淵上白陽ら)、すなわち、1930年よりはもう少し早く、関東大震災後の1920年代半ばくらいを始まりとすることが考えられる。

以降、怒涛のように、新興写真への動きが始まる。まず、中山岩太が1927年に帰国し、1930年には芦屋カメラクラブを結成する(ハナヤ勘兵衛、松原重三ら)。やはり、1930年には、「新興写真研究会」が木村専一、堀野正雄、伊達良雄、渡辺義雄らにより結成され、さらに、1930年には、浪華写真倶楽部を母体として丹平写真倶楽部が結成されている(メンバーは上田備山、椎原治、平井輝七、安井仲治ら)。

1931年には、独逸国際移動写真展(ドイツ・シュトゥットガルトで開催された「Film und Foto」展の写真部門の日本巡回展)が開催され、日本の写真家たちに決定的な影響を与えている。

新興写真の具体的な作品としては、堀野の写真集『カメラ・眼×鉄・構成』は1932年、小石清の写真集『初夏神経』は1933年(浪展における作品の発表は1932年)、渡辺義雄のシリーズ「カメラ・ウヮーク」は1932年(雑誌『フォトタイムス』に発表)と、相次いでいる。また、1933年には、野島の「写真の女の顔・20点」(銀座・紀伊國屋)という展覧会が開催されており、野島の作品がこの時期には芸術写真から新興写真へと移行していることを示している。

また、雑誌『光畫(光画)』(野島、中山、木村伊兵衛ら)は1932年-1933年の刊行であり、第1号に掲載された伊奈信男の論文「写真に帰れ」は、新興写真を称揚する内容となっている。

新興写真の大きな流れの中、一部は、社会性に富む報道写真として分化していった。残りについては、その写真表現が次第により先鋭化し、1930年代後半にかけて、前衛写真と呼べるようなものになっていき、各地に、そのような傾向の集団が登場してくる。具体的には、以下のようなグループである。

1937年「アヴァンギャルド造影集団」(花和銀吾、平井輝七、本庄光郎、樽井芳雄ら)
1938年「前衛写真協会」(瀧口修造、永田一脩ら)
1939年「ナゴヤ・フォトアバンガルド」(坂田稔、下郷羊雄、山本悍右ら)
1939年「ソシエテ・イルフ」(高橋渡ら)
新興写真はこのように、報道写真や前衛写真へと転化していったわけだが、後者については、前衛に対する政府の弾圧、技巧(技術)偏重による表現の行き詰まり、社会性からの乖離と社会性を要求する外的圧力、戦時におけるアマチュアとしての限界などの問題が生じ、太平洋戦争の中、あえなく散ってしまうことになる。このことは決定的・徹底的なことであり、ごく一部の例外を除き、戦後の前衛的な写真表現との断絶が見られる。

こうして、新興写真は、事実上、報道写真へと解消されていくことになる。

新興写真を代表する写真家として、すでに挙がっていない者としては、植田正治、桑原甲子雄、瑛九、恩地孝四郎、福田勝治、金丸重嶺などがいる。

報道写真の時代
この時期の報道写真の大きな特徴としては、社会性の(極端なまでの)重視と、従来の写真とは異なり、アマチュアを排したプロの世界となっているという点を挙げることができる。 先に紹介した伊奈信男の論文「写真に帰れ」(雑誌『光畫』第1号(1932年)掲載)は、そもそも、報道写真(社会性)優位の主張を内包していたといってよく、この時点にすでに報道写真の時代への萌芽があったといえる。偶然にも、以降の報道写真の時代を牽引する代表的写真家・編集者の1人である名取洋之助がドイツから帰国したのも、同じ1932年であった。

また、報道写真は出版メディアとの連携が必須であり、特に新聞(単なる「ニュース写真」にとどまる)を超えるものが必要であるが、日本初のグラフ雑誌である『アサヒグラフ』は1923年に創刊しており、これが『LIFE』の創刊(1936年)よりかなり前であるという点については、注目しておく必要がある(大久保好六等が活躍)。しかし、写真を中心に据える出版メディアが本格化するのは、以下のとおり、1930年代半ばである。

名取洋之助を中心に、伊奈信男、木村伊兵衛、原弘、岡田桑三らが日本工房を設立したのは1933年、意見の相違を原因とする伊奈、木村、原、岡田ら(すなわち設立メンバーのほとんど)の脱退を受け、1934年に第2次日本工房となり(土門拳、河野鷹思、亀倉雄策、山名文夫、藤本四八らが加わった)、同年に、世界的なレベルの本格的グラフ雑誌として日本では最初のものである、対外宣伝誌『NIPPON』が創刊された(1944年までに36号を刊行。渡辺義雄や堀野正雄の写真も掲載された)。一方、日本工房脱退組を中心に、1934年に中央工房が設立され、1941年に東方社となり(渡辺義雄、菊池俊吉、濱谷浩、渡辺勉、光墨弘、大木実、林重男、薗部澄らも参加)、1942年に雑誌『FRONT』を創刊した。『FRONT』では、ソ連の『CCCP НА СТРОЙКЕ(建設のソ連邦・ソ連邦建設)』(1930年創刊)に範を取った大胆な紙面構成(レイアウト等)のもと、フォトモンタージュの技法などが駆使され、その芸術的・表現的な点からのみ評価すれば、戦前の日本のグラフ雑誌の頂点ということができる(1945年までに、10冊が制作され、うち9冊が刊行された)。

これ以外にも、「青年報道写真研究会」が1938年に、土門、濱谷、藤本四八、光墨弘、加藤恭平(東京工芸社)、田村茂らにより結成されたり、雑誌『写真週報』が1938年に内閣情報部により創刊されたり、1940年には、「日本報道写真家協会」が土門拳らによって結成されたりすることで、戦時に向かって、政府の恣意的な庇護の元、報道写真はその一時的な(独占的)繁栄を謳歌することになる。

その繁栄の中で、報道写真は、新興写真を飲み込んでいき、アマチュア写真家や芸術写真・前衛写真を社会性がないとして排斥していく。しかし、報道写真そのものも、最終的には戦争に飲み込まれ、その自由をほぼ失ってしまう。その理由は、日本における報道写真の「社会性」の脆弱さゆえだけではなく、本質的に、「社会性」には、そもそも、社会にからめとられるという弱点が内包されていることによる。

報道写真のこのような動きは、戦争加担という評価を免れることができないものの、同時に、時勢にあらがうことができず、戦時において生き残るためにやむをえないことであったという評価もできる。ただ、その中で、濱谷浩や土門拳のように、自らその流れから脱落し、別な切り口で社会を見つめる独自の世界へ向かう展開も見られた。

一方、社会性がないとされた写真家は時代に歪められていった。器用さのない者は自己の世界に閉じこもらざるをえず(中山岩太)、器用な者は自己の世界の(部分的な)放棄や転向や分裂(シリーズ「半世界」(1940年)vs.「写真週報」など)を余儀なくされる(小石清)。また、沈黙に向かう者もいた(野島康三)。この中で、安井仲治は、写真の多様性を認めつつ、時代に屈せずに、従来からの姿勢を変えない代表的な写真家だったといえよう(例えば、シリーズ『流氓(るぼう)ユダヤ』(1941年))。ただ、安井も1942年には他界してしまい、このような動きはほぼ途切れた。しかし、その死により、政府のより厳しい追及を受けずにすんだということを考えると、皮肉ではあるが、安井の早い死は、かえって彼自身にとっては幸福だったといえるかもしれない。

不思議なことに、報道写真だけが、戦後に、戦争加担という非難をもってしてもつぶされることなく、太い流れで明確に継続することになる。写真の歴史という観点から見れば、この時期の報道写真については、「戦争加担」という非難が該当するというよりも、報道写真家と呼べないような写真家(報道写真家から言わせれば、「社会性」の欠如した写真家たち)を排斥したこと(多様性という芽を摘んでしまったこと)に、より多くの問題があったとも考えられる。そして、このような「排斥」は、やや形を変えて、戦後もある期間継続することとなる。

2009年01月24日

最強ロボ ダイオージャ

ユーティ つくだ ジャー まんご アンプ マガジン マッコリ だいせん センダン チコリー ノアアク フェイント ホーム フロッタ マリ幸運 ナンヨウ ジブル おれが オーシャ ディフェ メッシュ ナツユ ふくべそ しもごう ギャルド リング リビア キウイフル ローティー ニュース ニアピン モーター ジュアル マイナー ガント ビーム ツーリズム レクラニ ハイフ センサ メチエ バイパス クール おたる ビリー ジャンプ トロール モホス プチトマト はかま

『最強ロボ ダイオージャ』(さいきょうロボ ダイオージャ)は、1981年(昭和56年)1月31日から1982年(昭和57年)1月30日まで名古屋テレビ・テレビ朝日系で毎週土曜日17:30 - 18:00に全50話が放送された、日本サンライズ制作のロボットアニメ。

『無敵超人ザンボット3』から始まるこの時間帯のシリーズは元々、以前からのヒーロー物ロボットアニメ(『マジンガーZ』や『超電磁ロボ コン・バトラーV』など)の様な「ロボット研究所・秘密基地vs世界征服をたくらむ悪の組織」のパターンに捉われない作品作りを目指しており、本作もそれに則っている。

時代劇『水戸黄門』をモチーフとしている、娯楽性あふれるアニメである。江戸幕府の中心地「江戸」[1]をエドン国とみなし、江戸幕府に属する各領地をエドン国に属する同盟星とみなしている。本来の水戸光圀は老人だが、ミト王子は自由奔放な少年として描かれているため、見た目は水戸光圀のようなイメージは全く無いに等しい。しかしこの物語は各星の悪人を懲らしめて各同盟星に平和をもたらすだけでなく、ミト王子自身の成長も描いているため、必ずしも光圀のようなイメージにしなくても「ロボット版水戸黄門」としての役割を十分に果たしている。

老人ではなく、将来殿様となるべき少年が各国を行脚するシチュエーションはむしろ若き日の徳川慶喜や織田信長を思わせる描写となっている。ミト王子の境遇やキャラクター性は彼らのそれに近く、トクガー16世という名称や、最終回での思い切った改革など、いくつかの設定でその影響が散見される。

また、各同盟星の悪人(悪代官)は基本的には成敗されるが、悪行を許し、その罪滅ぼしとしてある仕事に就かせるというエピソードも存在する。

現在のところ、渡辺宙明が音楽を担当している唯一のサンライズアニメである。

本作の放映時には、本作の前々番組の『機動戦士ガンダム』が映画化され、同じサンライズの『太陽の牙ダグラム』も始まっており、リアルロボット系の作品が支持される世相になっていた(リアルロボットアニメブームの過度期との見方もある)。そのため、この枠も次回作『戦闘メカ ザブングル』からはこの時間帯もリアルロボット路線に修正、これは11作目『機甲戦記ドラグナー』まで続いた。

ストーリー
エドン国は周辺51星を平定した星間国家である。エドン国の王位継承者は、16歳になるまでにすべての領地(同盟星)をめぐる視察の旅に出る義務があった。

城での堅苦しい生活が嫌いな王子エドワード・ミトはこのしきたりに従い、身分を隠しての星巡りに大喜びで出発する。 旅の道連れは教育係のスケードと武術指南役のカークスの側近二人。

一見平和に見えた諸国だが、見せかけの平和の裏ではそれぞれの為政者による悪事が横行していた。

ミト王子は合体ロボ・ダイオージャを駆り、領民を苦しめる悪人どもを成敗していく。

スタッフ
企画:日本サンライズ
原作:矢立肇
シリーズ構成:星山博之
キャラデザイン:佐々門信芳
メカニカルデザイン:大河原邦男
連載:テレビマガジン、たのしい幼稚園、なかよし、冒険王
音楽:渡辺宙明
作画監督:金山明博
美術監督:内田健彦、勝井和子
監督:佐々木勝利
プロデューサー:森山淫(名古屋テレビ)、大熊伸行(創通エージェンシー)、岩崎正美・中川宏徳(日本サンライズ)
脚本:星山博之、荒木芳久、伊東恒久、富田祐弘、吉田明史、吉田耕助
原画:佐々門信芳、外記康義、佐藤道雄、田島実、宮崎絹江、桜井芳久、見村由子、村上勉、山田政紀、大島城次、木村圭市郎、森山雄治、和田卓也、八幡正、塩山紀生、谷沢豊、新田敏夫、藤岡正宣
動画チェック:大原和男
色指定:長谷川洋、花津谷あつ子、鈴木敏明、西川遊子、徳永ミツ子
仕上:シャフト、スタジオ雲雀、ジャスト、ディーン、スタジオ九魔
特殊効果:千葉豊
設定助手:戸部尚代
背景:小林プロダクション、スタジオユニ、アートテイクワン
タイトル:橋爪朋二
撮影:旭プロダクション
編集:小松みどり→井上和夫、布施由美子
制作進行:川瀬敏文、冨永恒雄、八木岡正美、中川一敏、今西隆志、目崎一彦、飯島浩、神田高秀
設定担当:福田満夫→風間洋
進行主任:内田健二
現像:東京現像所
音響監督:千葉耕市
音響制作:千田啓子
効果:佐藤一俊
調整:飯塚秀保
録音:セントラル録音
美術デザイン:小林七郎→池田繁美
メカニカルゲストデザイン:出渕裕
コンテ:菊池一仁、高橋資祐、兜四郎、鹿島典夫、鈴木行、加瀬充子、松浦錠平、比賀沈、石崎すすむ
作画監督:佐々門信芳、金山明博、塩山紀生、山田政妃、木村圭市郎、坂本三郎、谷沢豊、新田敏夫
演出:菊池一仁、加瀬充子、鈴木行、鹿島典夫、石崎すすむ、佐々木勝利
制作:名古屋テレビ、創通エージェンシー、日本サンライズ
著作権:(C)1981 SUNRISE INC.・名古屋テレビ

主題歌
OP「最強ロボ ダイオージャ」(作詞:伊藤アキラ、作曲:渡辺宙明、歌:たいらいさお、ザ・ブレッスン・フォー)
ED「ヨカッタネ宇宙」(作詞:伊藤アキラ、作曲:渡辺宙明、歌:たいらいさお)
挿入歌「みんなで踊ろうバルジャンロック」(作詞:兜史郎、作曲:渡辺宙明、歌:たいらいさお)
挿入歌「HEARTへようこそ」(作詞:亜蘭知子、作曲:渡辺宙明、歌:古川登志夫)

キャスト
エドワード・ミト王子(ミート):古川登志夫
モチーフは徳川光圀=水戸黄門。
デューク・スケード:石丸博也
モチーフは佐々木助三郎。
バロン・カークス:西村知道
モチーフは渥美格之進。
フローラ・シノブ:高木早苗
明確なモチーフは明らかでない。あえて喩えるなら風車の弥七を、その妻・霞のお新の様な女にアレンジしたキャラである。女性キャラという観点で言えば、2008年現在のフォーマットでなら疾風のお娟、かつての「かげろうお銀」だが、本作放送時にはこれらのキャラは存在しなかった。
バルジャン:永井一郎(ナレーターも担当)
ジンナイ:滝雅也

ダイオージャ
ダイオージャは、エースレッダー、アオイダー、コバルターの3体のロボットが合体して生まれる巨大ロボ。 エドン星王家の象徴。身長25.0m、体重240.0t。胸部に、徳川家家紋である三つ葉葵をモチーフにしたエドン王家の紋章がある。超金属エドガニウム製。

武器は、アーム・ミサイル、ロケットパンチ、ビーム・ボウガン、ダイオージャ・シールド(紋章を含む胸部が変形)、ダイオージャ・ジャベリンなど。 必殺技は雷鳴剣を用いた「電光雷鳴崩し」。

エースレッダー
ミト王子が搭乗。ダイオージャの頭と胸部になる。
アオイダー
スケードが搭乗。単体時から上下逆転、股割きのような状態になり、脚がダイオージャの両腕、それ以外が腹部・腰部になる。
コバルター
カークスが搭乗。手と頭を収納し、単体時から上下逆転し左右に分離、肩が爪先になる格好でダイオージャの両足になる。
なお、これら3体のロボットの胸部には三つ葉葵を3等分したと考えられる、スペード状の紋章が付いている。

本作品中の設定では、巨大ロボットはサムライの象徴であるとされ、巨大ロボットを持つ者は領民に対する支配者階級であると位置づけられる。つまり本作のロボットは、時代劇における刀に相当する。

抵抗する悪党達に「鎮まれ! こちらに居わすはミト王子なるぞ!」とスケード・カークスらが一喝するシーンは『水戸黄門』を、「ミト王子がこんなところにいるはずがない!」と罵倒する悪党に、「ならば、その目で然(しか)と見よ!」とミト達が乗る三体のロボットがダイオージャに合体する。その胸に輝く紋章を見て悪人が一旦は平伏するものの、『暴れん坊将軍』のクライマックスの様に開き直って歯向かい、雷鳴剣の錆となる、というのが番組のパターンである。

後半はサポートメカの「クロスエイダー」が登場、単体ロボに合体して「スカイレッド」「アオイダート」「コバルタンク」へと変形するが、ダイオージャ自体はパワーアップする事がないという、ロボットアニメとしては異色のパワーアップ劇となっている。

放送リスト
話数 サブタイトル 舞台 登場メカ
1 旅立て! 銀河のミト王子 バードランド星 シガル

2 胸に輝く王者の印 ゾルベック
ヘルベロス

3 恐竜パピの涙 デュアル星 ザウラーズ

4 機械にされたミト王子 スティル星 ゼラズニィ

5 恐怖の人間彫刻 ミケラン星 ダンテス

6 少年と錦鯨 シーランド星 オブーン
グロテスター
アイザック

7 王子の嫁入り ブラバー星 ハーディアス

8 友情のスウォーム星 スウォーム星 ガニメーデ
ガニンダー

9 恐怖!! 夜のない国 ブルーレイク星 ムガール
エレギック

10 宇宙に咲いた愛の花 フラウ星 マゾネス

11 スターになったミト王子 ムーブ星 ゼロニカ
イエルマーク

12 つぼに刻んだ父の意地 グランド星 ダイマ
ガシン

13 キラキラ星の暴走族 キラキラ星 オジーン
デスベター
マッズ

14 俺たちには明日がある インデリアル星 ギャメス

15 猛獣国で大あばれ アニマル星 ペドルマー

16 夢をなくした少年戦士 エトルナ星 ハイルクロス

17 よごれた黄金のピラミッド ダイキン星 プトレゴール

18 愛しのポアラ マウンド星 ブラックルーク

19 どっちがどっち? 2人のスケさん ブレドン星 ベーガル

20 朝から晩までこんにちは オアシス星 エースピエトン

21 コンピューター大魔人 ジョード星 魔神像
キュービック

22 王子になったミト王子 ガルシア星 ドグメス

23 ぼくらは荒野の用心棒 コロニスト星 ドンク
ゴゾメス

24 輝け! ロデオの星(スター) ビスゴルク

25 宇宙海賊バーラック ピース星 マグタワー

26 戦場にかける友情の橋 トンジャー星 ガルガズーム

27 バルジャン・がんばるじゃん インカリア星 テクノッグ

28 謎の鬼面軍団 カメリア星 ジャドー

29 バイキングがでた!! バーニンホーク星 キケロス

30 王子は大泥棒?! エトラン星 ダンジョー

31 コドク博士の贈り物 (前編) ドリム星 ドラゲーン

32 コドク博士の贈り物 (後編) ハイバード
ドン・マゲダック

33 エイリアンの恐怖 カンダ星 ムシャード
べムグロス

34 父と娘の出会い ピタゴラ星 サロメイデス

35 にせ物に御用心!! プロウス星 ゴロボット

36 王子よ正義の剣をとれ (前編) カナン星
37 王子よ正義の剣をとれ (後編) エンペリオスクーガー

38 がんばれ、ピンチヒッター モロハ星 ハン

39 仙人をやめたかった仙人 トーゲン星 仙人星

40 白竜 (前編)[2] パラマリン星 白竜ロボット

41 白竜 (後編)
42 裁かれた名奉行 ゴルド星 ゴールデンストーム

43 ずっこけ暴走列車 ミンドロ星 マシンバッファ

44 ハートへようこそ (前編) シェクピア星
45 ハートへようこそ (後編) ガトラスIII世

46 ジャングル・ボーイ ファントム星 バンタルー
キャッチャン

47 街へ出た御領主様 コットン星 スマキング

48 つっぱりお嬢さん!! ダリズム星 グロス

49 みんなが王子を待っている (前編) ボナンザ星
50 みんなが王子を待っている (後編) デースバンダー
ヘルデッド
ゾルダグ

2009年01月17日

商人として登場するが謎が多い人物

キャプラン・ハン
商人として登場するが謎が多い人物。アマルガン・迫水の部下達はキャプラン経由で仕えるようになった者が多い。アマルガンと同じくツォの国の出身と疑われる。
グロン・ガザエル
ゼラーナ船長。好色家。コムを飼う。アマルガンと仲がよく、国興し以前は海賊の船長として物を奪い、女を犯し、男を虐殺していた。当初の迫水にとっては受け入れがたい事であった。
シャーン・ヤン
女海賊。グロンと同じく好色家。前半では女戦士としての活躍が書かれ、後半ではグロンとの肉体関係が書かれる。時々冗談半分かつ本気で聖戦士迫水の味を知ろうと誘ったりしていた。ラストではゴゾ死後のガダバ軍の抵抗勢力ダム・ボーテを殺害するという大手柄を立てる。
コム・ソム
ミ・フェラリオ。グロンに飼われている。裸踊りを好む。あまり知能は高くない。シャーンと同じく迫水を誘うが断られる。
クロス・レット
ドラバロの砦に行く際に道先案内人として登場。ドラバロの指揮官デダン・バランダがマフと結託し行った処女狩りで、許婚が破瓜されたという経歴を持つ。後に迫水に付いてよく登場する。
ノストゥ・ファウ
ミ・フェラリオ。隠密部隊床山によって、暗殺者として飼われていた者と一匹。通常ミ・フェラリオを飼いならす事は不可能だが特殊な麻薬を使う事により可能とした。迫水達を襲うが返り討ちに遭い仲間は殺害され、本人は捕らえられる。その間は迫水の下着入りの籠の中で飼われるが、その事で迫水の匂いに愛着を持ち彼に懐くようになる。グロンとは違い迫水は性的関係を築こうとはしなかった。
偵察中にグーベンゲンとその連れの女メチレルに捕らえられ、全裸にされたあげく股間にドライバーを押し込められる拷問を受ける。瀕死の状態であったため迫水の手により止めを刺される。
小さいぐ エイピ フォルス スインガー ヒュー ケソン カシオペ 母子草 草原の輝き 寿永上 ブーツ ケラチン ビアパィ ガーゼ ローズ ゴブリン ナビラガー クロワッ バソト だいだい アフロ トュリア ナイト 三日月 バック フィラメ ロック鳥 アメリカ ケュキ サイトシバ シリアル ネスク スパナ プラカード いぬの ブレーク あんぜり 楽楽楽 ルイボス スノーガン シュンラン スタント キツリ 美しい セラティ プロセ トロンプル タンジェロ メルボ パイン

グーベンゲン・ニーゲル
迫水と同じく地上人でガラバについて地上の武器を伝える。スウェーデン人。
ノストゥの件では見ていただけと一応否認するが、迫水は地上の武器で多くの大切な人を失ったことに怒りを持っていたため、グーベンゲンの弁明は通じず、殺害された。ミチレルの方は弁明する間もなく殺害。
アンマ・ガルレア
21歳。キェの国の武家の出。カザン・バロリエ、メルバルディ・ルゥズを部下に持つ。2人ともアンマよりかなり年上でガルレア家に仕える。作戦中、生まれて初めての痴漢行為を迫水から受ける。
迫水とリンレイとの仲を知りつつ、迫水を積極的に誘う。恋の駆け引きの末、迫水は彼女を妻としたいと思うほどの仲になるが、最終的には身分の違いから彼女は身を引くことになる。
カザン・バロリエ
25歳。クロス・レットから好意を持たれていた。アンマと共に捕虜になった時に死亡。2騎の馬から両足を縛られた状態で引き連れられていたため、頭を地面にぶつけた上、そのショックで股間が裂け、右足がもぎ取られて死亡。追撃を断念した迫水はアンマの左腕と手を繋ぎながら捜索、遺体を発見する。それを見て迫水は彼女が処女だった事を知る。
メルバルディ・ルゥズ
アンマが怪我をしてからは主従関係を解消される。途中ダーナとはいい仲になる。彼が殺された際にはゴゾに立ち向かうが、両腕を切断された上、彼の部下に殺害された。その際にはダーナの遺体の上にかぶさるように倒れた。
ゴゾは彼女の勇ましさに惚れ、彼女を陵辱するため、部下に生きたまま捕らえる様命令した。しかし抵抗した彼女を、部下の一人ブドが殺してしまい失敗。
スグリ
ヨッコウ
隠密集団床山の隊員。恋人同士。迫水からリーンの翼の靴を盗む。戦乱の最中に隊を抜けて駆け落ちする。
ダーナ・ガハラマ
元ガダバの士官。捕虜になるが、その後聖戦士に魅せられ、逃げる機会があったにも関わらず迫水側に寝返る。ゴゾ死後のガダバ軍の抵抗勢力ダム・ボーテとは大親友。ゴゾと対峙したとき小銃に撃たれ死亡。
ゴゾ・ドウ
ガダバの創設者で当時は聖戦士と噂された。ダーナ達を殺害後、すぐに現れた迫水によって殺害。